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地の塩のはなし

[おことわり]

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閑話休題

塩のことをぼんやり考えながら糸井重里さんの日替わりコラム、今日のダーリンを読んでいたら、をぉそうかーというような言葉が目に飛び込んできた。

塩を入れすぎたスープを、塩はどうにもできない。人や水になんとかお願いするしかない。

塩のことを考えていたのは遠い昔に受けた宗教の授業のことを思い出していたからだった。「地の塩の話*2」とか「一粒の麦の話」などは定番の説教なのだが信者になれなどという押しつけは一切無く、ごく中立的に聖書を学ぶ。ティーンエイジャーの我々は「あなたがたは地の塩なのです。」などという厳かな講話に感動し、わかった、じゃ、塩として頑張ろうとか語りあったものだ。

 

斯くして健気に塩として生きる決意はしたものの、ことはそう単純ではなく世の中も全く一筋縄ではなかった。あれこれ見聞きするうちに塩にもいろいろあるようだと学習した。海辺の塩田で作る素朴に白いのばかりが塩ではない。

こういうミネラルたっぷりで、砕いてステーキやサラダに振りかけたりするお洒落な岩塩もある。なんとバラ色を帯びている。

これは香りの良いオリーブオイルとレモンなどと一緒に用いると大変に具合の良い優雅な逸品ができあがる。

ところでこのときよく言われる「塩少々」というのが曲者である。およそ塩梅(あんばい)というものは主観で語られることが多いので万人にとってほどよい塩加減というのは本当に難しい。

塩だ塩だと強引に押し出すよりも、麹のほんのりした甘さをからめた方が馴染みが良いときもある。これなどは季節のサツマイモを蒸かしたのに付けると極上の味わいだ。

 

他方、塩にもいろいろあるが長じるにつれて人もそれぞれということにも気が付く。塩を好む者もあれば嫌う者もあり、あまつさえ忌避する者さえいる始末。「あたし、塩でぇーす♥ 生命維持に必須よ?」などと無邪気に踏み出そうものなら思わぬ痛手を負うたり、負わせたりすることになる。

生きて行くうえで塩は重要で必要だけど塩辛いの嫌いとか塩断ちしてるとか精製塩はどうもねとか、いくら塩の方で頑張ってもいらないと言われる場面だってあるとは。そのうえ多すぎる塩は毒にさえなるというではないか。ここに至って冒頭の糸井さんの名言が刺さる。曰く「塩を入れすぎたスープを、塩はどうにもできない。」

頑なに塩辛く暴走してしまった塩が丸くほどよく馴染んで周りの素材を活かすにはその周り自体のチカラが必要です、と。

人は頑張って塩になろうとしなくても既にその存在が塩なのだし、生きていくのに必要不可欠なもので、塩が皆ちからいっぱい活躍していければ気分爽快だろうけれども行きすぎと言うことはどうしてもどこかで起きる。それを鷹揚に受け容れたり尖りすぎた角をほどよく丸めていくことができる環境であれば塩の座りも心地よく、なかなかよい塩梅のスープができるのではないかね、と。

地の塩単独で頑張ってもできないことはある。そして環境が合わないならフィットするまでどんどん移り変わってみればいい。

凝りすぎた調味をほどこした料理よりも実はアジシオをちょこっと振りかけるくらいが最強なのではと、こないだ天ぷら*3を揚げたときに気付いてしまった。ステーキとか刺身にもこれでよくね?手間ヒマなしで料亭の味。変心上等。いやほんとうに。

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*1:先日芽を出したアボカドを大きく育てたく、テラコッタの植木鉢だの鉢石だのの資金を得ることを目標としています。よい展開を得れば、アボカドが実り、進呈申し上げることができるかも知れません。

*2:山上の教訓として「世の光」と組で語られますね。ジーザス・クライスト・スーパースターを観ましょう!

*3:自宅で天ぷらについてはまた後日。