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2001年9月11日火曜日

 

世界同時生中継

2001年。その年の5月から視覚障害が進んだ母がうちに来て、介護と仕事の二重生活が本格化しはじめた平成13年として個人的には記憶されている年だ。まだ体力があって通訳の学校にも通っていた。

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9月11日火曜日。フルタイムの仕事を終えて通訳の学校へ行って、帰宅してテレビを付けたのか既に付いていたのかもう覚えていない。気が付くとテレビの画面がアメリカの「本土決戦」を中継していた。中継する側もまだ手探りで、しかしとてつもない緊迫感が伝わってきた。

それがNHKだったのかCNNだったのかABCだったのか、英語のニュースの方が情報量が多いだろうと音声を切り替え、1機目がビルに激突したという状況を画面が見えない母に説明しているうちに2機目がワールドトレードセンターのもう一つの棟に突っ込んだ。この異常な状況を伝えるキャスターもおそらくは無意識にOMGを連呼し、私でも充分に同時通訳できる程の情報量しか伝わってこなかった。「飛行機事故」の話を聞いていた母はなんのことやらという様子だったが、私も自分の口から出てくる言葉の意味がうまく消化できず絵空事のように感じていた。これ、なんだろう何だろう、なんだろう

それぞれの喪失感

それからしばらくの間は帰国子女の知人達にとっては思い入れの深いNYCの変わりように、もう二度と見ることのできないWTCの喪失に、顔を合わせれば衝撃とか混乱とか悲しみとかを訴えるOMGの大行列だった。私はアメリカに暮らしたことはなかったし、そこまではと思っていたのだが、かつて訪ねたことのあるWTCという大きな建造物が跡形もなくなってしまったことには今反芻しても恐ろしさと空しさがあの灰色の土埃になって迫ってくる。

そして20年後

記念式典がアメリカで行われた。

9/11 anniversary: Victims remembered at events across US - BBC News

www.bbc.com

今はもう若くないヤングブッシュがアメリカ人は傷つけられることもある(vulnerable)だけど壊れたりしない(not fragile)と20年の時を経て国民に語った。強いアメリカを再確認したいのか。

20年経って、2021年米軍はアフガンから一斉に退去してしまい、タリバンが政権を掌握した。タリバンがかくまっていたとされるオサマ・ビン・ラディン同時多発テロの首謀者として米軍の手に掛かった。でもそれは何を解決したんだろう。イスラモフォビアは911直後と変わらない。それどころか寧ろ拗れていないか。猜疑心と恐怖で人々の分断はいっそう深まってないか。いったいあの同時多発テロは誰が誰に挑んで結局だれが勝ったんだろう。

記憶の編集

記憶というものは当てにならないので記録することは重要。こういうのをみるにつけ便利なガジェットより紙に墨が最強なのではと思ってしまう。文字を綴ったり絵画に写したり。

Some of the most iconic 9/11 news coverage is lost. Blame Adobe Flash - CNN

edition.cnn.com

昔、カリフォルニアでフラワーチルドレンの生き残りみたいなオジサンが「暴力はいかんね、暴力はぜったいダメ。ラブだね。ラブはいいぞー」と言っていた。そういうアメリカ人がいてくれるのは救いだし希望だ。ラブの意味がなんにせよ。

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