瞳の中にいる人
鏡にぐっと顔を寄せて瞳をのぞき込む。虹彩の襞と襞の隙間にぷつっと暗い濃紺の滲みが呼吸するように蠢いている。顔を引いてもう一度自分の目を見る。祖母の眼だ。顔は全く違うのに、この目の中に祖母が居る。私の命はいつまで続くだろう。100年も生きるなんて拷問だ。ああ、私の命はいつまで続くんだろう。
ベストなシナリオ
ここから先に書く事は、誰の為にもならない独り言だ。医学的にも、生物学的にも、経済や社会の常識からみても、何も意味のない、ただの戯れ言だ。
其れはこうだ。いっそ気付かないうちに感染して、無症状のまま免疫が獲得できたらいい。同居の老人も同様にやり過ごせたら、これがベストなシナリオだ。免疫がつけば怖いものなし。アベノマスクもそういう真意*1の極めて日本的な表明だったと思っている。*2
ただし、免疫というものもあやふやだ。免疫ができると思いきや、おたふく風邪に何度も罹るということが実際ある。抗体を作る能力のある人とない人が居るんだと思う。COVID-19をPCR検査して、陰性になったから退院した人がその後再発症したという報道もあった。抗体ができたイコール免疫獲得ではないのだ。
なにより、いったん感染してしまったら無症状で居られるかどうかは自らの体質次第だ。劇症化するかもしれないし、死ぬかも知れないし、死ぬのはやはり怖い。そしてその死へ至るかも知れぬ苦しさは一瞬では終わらない。これは相当なロシアンルーレットだ。
きっと耐えられない
頭痛、高熱、呼吸困難。きっと耐えられない。起き上がれないほど苦しい体調不良に見舞われてもワンオペ介護をなんとか切り抜けてこられたのは、駆けつけてくれる人や一時的に預かってもらえる施設があったから。ウイルス感染の危険が蔓延している今、駆けつけたり、預けたり、のサポートは期待できない。頭が痛くて、呼吸も苦しくて、高熱で、それでも黙々と介護を続けることが出来るか。
恐怖の底にあるもの
医術も薬学も制度も、どこにも万能というものはない。完璧な安心とか安全とか正義とか秩序とか信頼とか信仰とかとかとか。全能とか完全無欠とか、そんなモノはない。
最晩年、祖母の瞳は水晶のようにどんどん透明に美しく煌めくようになった。この疫病禍の来る前に祖母が寿命を全うしていてよかった。でも今日もし生きていたなら何としただろう。
私の前に先達は居ない。私はいつまで生きるだろうか。何もできない己の無能が辛い。抗体やらワクチンやらは当てにしていない。私にとってはそれはロシアンルーレットだから。暗くて冷たいプールの底に項垂れて立ち尽くす。
戯れ言、戯れ言。本当の悩みは何をどう為して生きるんだということ。疫病があっても、無くてもね。