今日という日
明日はいい日でありますように、と言ったのか。
しなければならないことは何もない。自力で出来ることも随分少なくなった。1日が長くて、朝が来て昼が来て夜が来ても、どんな成果もあるのやら、ないのやら。数少ない楽しみだったはずなのに、三度の食事も食べ忘れることがまま増えてきた。
今日は機嫌良く過ごせましたか。長い1日でしたか。あっという間の1日でしたか。嬉しいことがありましたか。辛いことはありましたか。
振り絞るように、でもカサついた密やかな囁きが「明日、、、いい日でありますように」と。
今日が辛かったなら「明日は」。今日がいい日だったなら「明日も」。どっちにしても、「良い明日」を願う意欲があるのだ、あっぱれ。
明日もいい日でありますように、と言ったかも。