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蝉の生涯

今週のお題「残暑を乗り切る」

これは私の老母がこの夏も無事に越せるという話。だから処暑の過ごしように関する極意は無い。

猛烈な暑さが少し和らいで、蝉の声が遠くに聞こえる午後、ほんとうに久しぶりに母とふたり、リビングに座って麦茶をゆっくり啜った。何をするでもなく、「このごろおじいさまは夢にでる?」「いいや、おかあさまは2回来た」だの「銀行員にはぜったいになりたくない(後期高齢者の母よ、きっとそんなに決意する必要はもうないよ)」「えー、なんでまたそうなの?」だの。ほんとうに何の役にもたたない、何の経済も生み出さない二人だけの会話。

「おじいさまとは、ほんとに話をしなかった」「石をきれいに磨いて写真を撮るのを、一度も褒めてあげなかったね」「おじいさまには、ほんとうにわるいことをした」「(せっかく、おじいさまと一緒に暮らしていたのに)もったいなかったねぇ」

急に気がついた。作らなければならなかった時間は、これだ。この気持ち。自分が大切にしている人と、ただ無心に一緒に過ごす時間を手に入れること。

効率化、プライオリティ・セッティング、自分の時間、など他人事、ただの流行ことば、と追い立てられるような気分になって耳に蓋をしてきたが、これは自分の人生を生きていくうえで非常に重要なスキルだと今さら腑に落ちた。

時間が足りない、と言うなら、時間があったら何をするのか。もっともっとカネが欲しいのは、その金銭で買いたい何かがあるのか。浅薄なことに言葉に追い詰められて何も考えてこなかった。巷には警告が溢れていたのに。

chikirin.hatenablog.com

もっと早くにこういうことを真剣に考えておけば、良かったよ。でも、今気がついて、今、こののほほんとした時間を愛おしく思える精神の健全さを確認できて良かった。

わたしは今、介護する・稼ぐ・自分の人生を見つける、を独りきりで模索している。いや、それは表向きの格好付けで、実際は余裕が無くて、身も心も立ち往生している。

在宅介護は、時間と労力が際限なく喰われていく。老いていくばかりの人の世話は、気力も吸い尽くされて萎えるばかり。とまれ、今の介護施策のありようの問題はいったん余所へ置いて、どこかで手を抜いたり、気持ちに折り合いを付けて「合理化・効率化」しないと身が持たない。こんなんで、更に働いて稼いでいくって、大丈夫か、わたし、といつも頭の中がぐるぐる回る。でも、一番大事なことが今日見えた。

ぐるぐるの渦巻きトンネルの向こうに、静かに、無力にお茶を啜る母が見える。

ところで、わたし自身の優雅や平穏は、また別の位相に揺らいでいるはずなんだ。