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 くれくれくれ

骨粗鬆症の定期検診と薬をもらいに母を外科に連れて行った朝。帰りはいつものタクシーを使わずに歩いて帰ることにした。

珍しく機嫌よく歩いた母に一息つかせようと、駅ビルのアフタヌーンティーに入った。上手く椅子の上に尻を落とせない母を助けていると、隣の席の老婦人が声を掛けてくれた。孫がお婆さんの介護をしてるのかと思って、感心だと声をかけてくださったらしい。孫じゃなくて娘だけどな。

このご婦人もご両親、舅、姑とつぎつぎに介護をし、看とりをしていらしたという。喫茶店でたまさか隣り合っただけでそんなに立ち入った話もなんとやらだが、声をかけてもらったことは嬉しかった。介護をするものはいつも先の見えない暗闇の中でただ「頑張る」だけだから。「今の苦労はきっとあなたに返ってきますよ、報われますよ」と何度も言われた。

天涯孤独の私に、どういう形で報いがくるのか分からないけれど、ここはありがとうと言っといた。別れ際、もしかしたらと思いついて、プライベートの名刺を渡してきた。ケアマネを探してるから情報があったら頼む、と。

家に帰りついて、自分のしたことを反芻した。喫茶店で声を掛けてくれたご婦人に、私は何をしたんだろう。彼女は思いやる気持ちと言葉を私に与えてくれた。惜しみのない好意だ。私はその好意を嬉しく思ったが、ありがたいという礼の気持ちはちゃんと伝わっただろうか?そんなことより、別れ際にケアマネについて情報提供をごりごり頼み込むというのはどうだったんだろう?

くれくれくれ、そればっかり。自分は彼女に何ができる?何ができた?

私が出来ることで、人に喜ばれることってなんだろう?そんなことあるんだろうか?