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皇室の名宝 ‐ 日本美の華

東京国立博物館で、先ずは第一期の展示を見に行った。そこそこの人出は覚悟していたものの、覚悟していた以上のおばちゃん、おぢちゃん、それどころか老いも若きも、ぞーろぞろ。熱気にあたっていろいろ頭に刻み付けないままに会場を出てしまった。
でも、若冲と応挙はやはり見てよかった。松園の雪月花は、ずっと以前の松園展で見たことがあったものだった。皇室蔵だったのね。
若冲の蛙、ムシケラに至るまでの微細な描写、表現にはただ嘆息。ムシのアノ人のことがつい頭に浮かんでしまうのは、なんともはや。いつかは私の記憶から消えて居なくなってくれるだろうか、ムシの人。
応挙の虎ちゃんは脚が太くてかわいい。虎って大きい猫やなあ。
会場の平成館のロビーでは400円以上もする饅頭やら800円もする紙コップ入りの餡蜜を嬉々としてペットボトルの日本茶片手に食べているオバチャンたちでいっっぱい。なんかなー。でも、今日はめったに眼にすることのできない宝を見せていただいた。私を含めてこのロビーに寛いでる人々が生きてる間に、ふたたびこれほどの宝を見せていただけることはもうあるまい。出掛けてきた甲斐もあったもの、饅頭やら餡蜜で商人がいかほど儲けたとて、とやかく言うほどのことでも無い。いや、いいものを拝見させていただきました。
こういう物凄い美が、日常的にあっちの襖、こっちの窓辺、床の間などにおいてあり、扉のそばには極上の薩摩焼の壺やら七宝の瓶やらが置いてあったら、嫌でも美意識は研ぎ澄まされて来るだろうな。ま、こんな宝物を置いておける大宮殿にお住まいになるということこそが、天上の人々の暮らしなわけですが。皇室はいつまでも皇室としてあり続けて欲しいと思うよ。

凄いお宝を見た後に思い出すのもなんだけど、家にあった鶴の掛け軸、鯉の掛け軸、あれらもとてもいいものだったと改めて思う。なんていう画家だったのかなあ。応挙にも勝る美しさがあったと思う。てっきり祖母の買い物かと思っていたら、実は祖父の道楽だったらしい。物がいいので祖母も文句の付けようがなかったようだ。ああ、あれ、欲しかったなあ。いつか私の手に戻ってこんだろうか、想い出のつまった掛け軸たち。薩摩の壺も、ミルク色の肌が懐かしい。

さて、次は第二期の11月にいまひとたび。今度は常設展示もじっくり時間とって見れるように早く来ようっと。

[遺憾]自分を受け入れる
難しすぎる。ちょっと書き出したら、セルフイメージが異常に低い。これを受け入れたらとんでもないことになりそうだし、かといって、これらを無理やりポジティブに解釈するとおかしなことになる。困った。予定していた短期計画が、思わぬことで頓挫して、代わりに小唄でも頑張るか、と思ったけれど、そういうことで代替して誤魔化しきれそうに無い。
ああ、これ、ミドルエイジクライシス?出口があるのかね?